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治療院の内容など


by nakayamaryu
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自発性

「病人と看病人」 野口 晴哉著よりご紹介させて頂きます。

   ・空想と現実と
 人間にとって、健康を保つということ、病気を冶すということは、一生懸命気張らなくてはならないことだろうかというと、そういうことはない。又非常に重大な事柄によって体を毀すことがあるだろうかというと、それも滅多にない。明日戦争になるということで、みんながビックリして死んだなどということはない。私は宣戦布告の発表を聞いた時、日本がどうなろうと自分の今の生活は変えない、人を元気にし、音楽を聴き、原稿を書く自分の生活は少しも変えないと決心をしていた。そして道場は爆弾で焼けたが、どこにも家がないという騒ぎの中でも、私には家を借してくれる人があり、食料もあり、絶え間なく整体指導をつづけていた。
 
 不幸ということは、万人が幸せである中で、自分だけ仲間入りしそこねたという感じを強調して感じるものである。人間の心は、数字の零がいくら沢山あっても、実感としては体に感じない。千万円の預金帳より財布の中に電車賃が一円足りなかったなどということの方が、ずっと実感があり、体に影響がある。

 戦争にしても、パニックにしても、お腹の空かないうちは気にならな い人が多い。人間は「在る」という空想によって愉快だったり、「無い」という空想によって不安になったりするが、その「在る」 「無い」にしても直接のつながりはない。何億円かを持っている人が、九十円の靴下を値切って買ったということがあった。そうなると何億円も無いと同然であるが、その人は何億円かになる地面の代金が入るという空想で極めて豊かな気持だった。顔色まで良くなり、動作も鷹揚になった。だから無理を言わずに鷹揚に値切ったのだろう。七億円を現実にもっているわけではなく銀行に預けてあるのだが、その空想でそうなっている。
  
 
   ・自分を売り込む親切
 看病する場合、その七億円の方はどうでもいいとしても、病人が不安な空想を抱えて蒼くなっているよりも、七億円持っている方が、恢復するには都合がいい。だから看病人は、病人を弱い方向に空想させてはいけないし、病人に疑心暗鬼を生じさせるいろいろな言葉を使って臆病風をそそり立ててはいけない。「癌ではないか」「そういうのが体に悪いのですよ」 「しっかりすれば大丈夫です」などと、しっかりしていなくては尚更悪くなる上うなことを言ってはいけない。自分が親切であることを相手に認めさせようとする場合はそのような売り込みが要る。

 そこで病人が自分で起き上がれるのに、抱き起こしてやらなければ起きられないという印象付けを行なう。病人の方は、自分は抱えられなければ起き上がれないほど重病なのだと思い込む。肩に落ちているフケまではたいてやる。元気だったら、無い埃をはたいて「埃がありますよ」と、おべっかを使っているなと思ってしまうが、病人の場合には、それが親切で好意で、情深い人に思える。看病人が、自分を相手から良く見られよう
とする方向に気を遣っていると、看病人の方が病人から見られる立場になってしまう。それは悪い結果しかもたらさない。
 
 話のわかる親父でありたい、叱言をいわないヒステリックでないお母さんでありたい、子供にそう見せようとして、ただやたらに褒めあげて叱らず、言うべきところを黙っている親が多くなっているが、それも自分を売り込む看病人と同じ類である。
 
 だから病気を看る看病人は最も良く、病人を看る看病人は次に良く、病人に見られようとする看病人は全く価値がない。しかし、ともするとそうなってしまう。また看病人だけでなく、教師が生徒の人気を得ようとしたり、親が子供の機嫌を気にしたり、姑が嫁に自分のモダンさを示そうとすることは、何らかの自分の目的を通そうとする行為で、真に相手のためを思ってする行為ではない。おためごかしにする行為は悪辣である。しかし看病という名の下ではそれが公認されている。親切というオブラートで、病人のためではなく自分のために自分を売り込んでいるような看病人は多い。
 
 だから看病する人には相手の全体を導いていくとか、或いは病気の経過を手伝うとかいう心構えが最初に要る。心構えなしの看病は、初めは親切であっても、それが繰り返されると病人製造法になってしまう。好意とか庇いとか親切とかは、病人にとっては撥ねつけることができず断り難い。看病という労りの名のもとで、体を大事そうに抱え上げてくれたりすると、その時一回はそれでよかったのに、数が重なると、病人はそれを期待するようになり、それを断るどころか、その為に尚更病人になってしまうというような場合も少なくない。
 
 子供が転んで泣くと起こしてやる。自分で立ち上がれるのに起こしてもらうと、次からはそれを期待して泣きだす。そうして貰わないとそのことを不満に感じて、その不平の為に更に泣く。それと同じで、病人でも、相手の不注意を責める為に更に熱を出したり、痛み出したりすることだって少なくないのである。

   #管理人です
 こういった事は非常に面白く感じ、人ということに対する興味が湧いてきます。自分に置き換えてみても思い当たる節もあるし非常に重要なことであると感じました。

   「今日の嬉しかったこと」
 ・美味しいチーズケーキを食べた
 ・頂き物をした
 ・やろうと思っていたことの1つが出来た
 ・良いお話を聞けた
by nakayamaryu | 2009-08-04 23:44 | 本の紹介など