治療院の内容など


by nakayamaryu
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〇〇しようとする

 土曜日に合気観照塾に行ってきました。そこで感じたことを治療と結びつけて考えてみました。

 <感じたこと> 
・手や力でやっている
 やはり途中から手でやっていたり、力が入っている。ここのところが面白く感じているので検証していきたい。

・意識のベクトル
 意識のベクトルが甘い、ということはイメージが鮮明でないしあやふやだということだと思った。治療でもここの意識がないと、形をまねているだけになってしまう。

・〇〇しようとするということ
 何かを、しようと思った瞬間に、日常の癖の通りに固まってしまうということがよくある。やる気やモチベーションは大切だが、自分の欲というか意識というか自分が出てくると固まるような気がする。いったん自分をゼロにする(無形の位)(くれてやる)がポイントかと感じたが、ここらへんの意識・無意識・動作などのバランスは治療の大切な部分であるから、手や力でやらないためにも研究が必要と感じている。

・七段階呼吸法
 上記のことを、わかるための方法の1つ。

・締まって緩む
 調整の方法で、締まって緩む・緊張と弛緩・虚と実などをいかに使うか。

・いくところに、いかす→決めない
 いかそうとしたり、形をおってしまうと戦いだす。

 ってなことを感じました。私は、自分のメモとして感じたことを好き勝手に書いているので流して読んで頂ければ有難いかなぁ~なんて思います。

  「今日の嬉しかったこと」
 ・ブログ見たと言って頂いた
 ・久しぶりにファンタグレープを飲んだら美味しかった
 ・友人と電話で楽しく喋った
 ・私が興味を持ったことに対して情報(冊子)を頂いた
 
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by nakayamaryu | 2009-06-30 00:11 | 稽古と治療

K野先生語録

 今日は、観照塾と中心塾でお世話になっている。K野先生の言葉の中で印象的な言葉を書いてみようとおもいます。しかも!私の勝手な解釈で(笑)
 
 ・学ぶ、成長する過程は蚊取り線香のようなもので徐々に中心によっていけば良い。同じ位置に来た時に「ひとまわり」内側にいっている。(感じ方などが変わっている)

 ・現象を観察し、感じて仮説を立て(考える)、やってみて、その結果に対し、また同じように検証し精度を高めていく。

 ・これが正しいということは無く、刻々と変化していく。だから決めない。そして、工夫してやってみる。

 ・考えるのではなく感じる。

 ・かしこいとできない、あほでないと(笑顔)

 ・一人一流。

 ・うちはオープン陳列方式やから、とれるもんは何でも全部もっていきやぁ~。

 ・私→「センタリング呼吸法とか創らはってすごいですねぇ」といったら、先生→「別に自分一人で創ったんじゃなく、レッスンに来てくれたはる皆で創ってきたものやから」

 ・習ったことないから、なにやっても良いねん。(既成概念にとらわれず発想する)

 ・とりあえず、やってみる。

 ・おもしろいから、やってんねん。

 ・いつも違うことしてるって言われてた

 ・決めない

 ・全部、一緒のことしかしてへん(ごめんね)笑

 #管理人です
 また、語録がたまってきたら書いていってみようと思います。しかし!私の捉え方・聞こえ方がこうだっただけで実はニュアンスが違ってたりして(笑)一つ一つに私なりの解釈を書こうかと思ったんですが、面白みがないし文章が長くなるので、やめときましたぁ~。

   「今日の嬉しかったこと」
 ・汗をいっぱいかいたので、夕方シャワーを浴びた(気持ちよかった)
 ・左手中指の爪の間に物が入って痛かったが男だからという理由で、こらえた。
 ・ふと、自分の顔を鏡で見たときに、      笑った。
  
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by nakayamaryu | 2009-06-26 22:18 | K野先生語録

自発性

「叱り方褒め方」 野口晴哉 著より紹介させていただきます。
  
   自発性を奪うもの
 
 ・絵を書く楽しさを失った子
 
叱るということは親の意思を端的に表明することである。褒めることも同じで、叱るも褒めるもあまり立場の違いはない。

 絵を描く事が好きな子供がいた。とてもいい絵を描いていた。そしたら在る時、たまたま来きた人がそれを見て「坊ちゃんは絵がお上手ですね」と褒めた。それ以来、その子は自分の描いた絵をいちいち大人のところに持って行っては、「これはどうか」と訊くようになり、終いには褒められないと絵を破くようになった。

 以前は書くということが楽しくて、紙さえ与えておけばおとなしかったのに、褒められたばかりに、褒められるために描こうとしだした。何を褒められたか、その子には判らない。だから褒められるように描こうとなると当惑する。描いたものを見せないと不安になる。

 見せて褒められたらいいが、大人が褒めるのは最初だけで、二度三度となると、ウンウンと肯くか「うまいよ」と言う位になってくる。子供は始めのようには褒めてもらえない、もっと褒められようと思って一生懸命描いたのに、描く毎にだんだん褒め方が簡単になる、不安でしょうがない、そのうちに兄さんが描いた絵を破いてしまった。自分と比べてみても向こうのほうが上手だという事が判ったのだろう。それで破ってしまったのである。
 
 そういうのは確かに褒め方が下手だった、褒める時期も悪かった。いや褒めるという事でその子の楽しさを奪ってしまったとさえ言える。実際褒めるということでも使いこなすのは難しい。白分の認められたくない所を褒められたのでは誰も褒められた気がしない。皮肉なのかと思う。叱るという事が的にあたると傷口に触れるようなものだから、そのために反射的に叱言に反抗する傾向を作る。

 だから、叱言を言う場合は傷ロに触れないようにちょっと外して言わなければならないのだが、そのアベコベに、褒めるということはそのものズバリに的中しなければ逆効果になる。心ない褒め方をしたために、無心に遊んでいる子供の楽しさを奪ったのがこの例である。

 ・コンサート用の音楽

 近頃の音楽というのもそれと同じことで、本当にレコードの録音は良くなったし豊富になったし昔に比べると格段に安いのでふんだんに聞けそうなのだが、私はちっとも愉しくなくなってしまった。まだ惰性でかけてはいるか、自分一人で聞くとなるとやはり昔のレコードである。骨を折ってゼンマイを巻いてかけて聞いている。
最近は昔のもの録音のものを再録して出しているので、昔のレコードを作り直したものは聞いているが、最近吹き込んだもので聞けるのはごく少ない。

 それは音楽が楽器を鳴らすだけになって、心がなくなってしまったからである。みんな褒められようとして演奏している。つまり様々なコンクールに入賞する事を目標に勉強しだしたから、人に見せようということになってしまって、音楽の楽しさ、音楽の含蓄といったようなものがなくなってしまった。

 演奏している人自身、音楽を楽しむ余地もない程に世界中を駆け回って、次から次に演奏して歩いている。気持ちの中も同じように余裕がなくなってしまったのだろうか。そういう内面的なものが反映しているのであろう。だからちっとも面白くない。

 今のようにコンクールで音楽を競う方向に行く限りは、前述の子が絵を褒められる為に描くようになったのと同じで、どこが褒められたのか、何がいいのか悪いのかが判らないまま、ある時褒められたらその褒められた傾向でばかりやっている。どこにも進歩がない。何を褒められたか判らないのに、もっと褒められようとしてそういう頃向ばかりどぎつく伸ばしていくような行為は、子供でも大人でもあまり立派とはいえない。褒められたい要求が自分の裡から出ているとしても、それを他人の目によって決めようとするところにおかしいものがある。

 その子供も褒められた為に去勢されてしまった。だから褒めることは難しいと言うのである。褒める時は的をピタッと射て「こことここがよい」と言わなくてはならない。 しかし叱言はその急所をやや外して、後になって気がつく・・・・・という位の含みをもたせるのが良いのである。

 #管理人です
 こういったことは子供だけの話ではなく、大人の中にもあると思いました。しかし、子育てや教育というのが如何に大事かということを感じました。最近色んなニュースがありますが、親や大人がもっと学び工夫し子育てや教育をしていった方が良さそうだなぁと思いました。(ほっといても子供は育つという意見もありますが 汗)

  「今日の嬉しかったこと」
 ・パソコンがフリーズしやすかったのが良くなった(友達のアドバイスで)
 ・欲にまかせて柿の種を食べた
 ・和食に興味が湧いてきた
 ・昨日、「さよなら」のフレーズの映画評論家が水野さんではなく、淀川さんであることを教わった
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by nakayamaryu | 2009-06-24 22:11 | 本の紹介など
昨日は、中心塾(詳しくは:こちら)に行ってきました。そこで、学び感じたことを書いてみました(^^)

 <感じたこと>
・セッティングでの違い
 患者さんの姿位によって繋がり方が変わるので治療に入る前の状態と自分との位置関係 が大切。

・接点が生じるまでの身体と意識
 操作に移る前、患者さんに触れる前の自分の状態も非常に大切であるということを感じまし た。

・接点が出来てからの身体と意識
 実際に患者さんに触れてからも当然大切で、如何に良い状態(入るところは入って抜けていて付けていられる状態)で自分の身体の緊張と弛緩を感じながら動くか。

・いかに、骨盤-股関節-腹を使って動作するか
 センタリング呼吸法の基本で、やはり大切だなと感じました。でないと、繋がらないし意識や思念なんかも当然使えないから、きっちり自分の身体を創っていこうという気持ちを持った。

・ゆるみをとる事とリズム
 ゆるみをとりつつ身体の中心(対極棒の真ん中のイメージ)を意識してリズムを感じながら呼吸に合わせて操作する。

・浮かして、入れる・つける・抜く(伸展)
 身体を操作によって緩めるときのイメージ(筋肉や身体を押すのではない)

・交流
 自分の中の緊張・弛緩を感じ患者さんの身体を感じ繋げていく。

・人によって違う
 決めない。

 ってな事を感じました。やはり、「治療以前」「自分創り」が重要だと思い実践していこうと思います。しかし、湿気がきついですね(笑)この湿気を期に身体を締めてみようかなぁ~。
(^ー^)

 「今日の嬉しかったこと」
 ・少し雑用ができた
 ・やっぱり、氷水が美味しかった
 ・昨日、友達とアホなこと言って喋って笑った
 ・おとつい、友達が電話をくれた
 ・今日の嬉しかったことに、昨日とおとついのことを書いてみた
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by nakayamaryu | 2009-06-22 21:24 | 稽古と治療

心のデッサン

 「マンガの描き方」 手塚 治虫著よりご紹介させていただきます。

 ・描きたいものを頭の中にスケッチする
 
 学校の社会科の先生が、黒板に向かって、参考書の地図かなにかを、フウフウ言いながら写しているのを見て、子どものころ、ああ、ご苦労さんなことだなあと思ったことがあるけれど、けっしてうまいなあとは思わなかった。ものをそっくり描き写すなんて作業は、漫画家にとっても、あんまりほめられたものじゃない。

 うちにいる新人たちに、よく、写真を見せて、これを見て描いてみろと言う。新車なんかの写真だと、ツヤの光の反射まで、こくめいに凝って描いている。で、こんどは、写真を見せないで、車を描いてみろと言うと、さて、描けない。

 長い時間かかったあげく、どう見てもマトモに動きそうにない自動車を描いてしまう。つまり、漫画を描くということは、ものを描き写す作業ではなく、自分の頭の中に浮かんだイメージを描くのだということである。そのイメージがなかったり、あいまいだと、けっきょく、ろくなものが描けないということである。

 さあ、たいへんなことになった。おれはそんな頭など、持ちあわせていないから、お手あげだ、と言って逃げ腰のかた、もう少し読んでください。だれにでもこれはできるのです。ただし、多少の訓練を必要とする。映像的なものに慣れるのだ。字を覚えるように、見たものを覚えるのだ。

 イーデス・ハンソン女史は、あっというまに日本語で小説が書けるほどになってしまった。彼女がどうやって漢字を覚えたかというと、漢字を、文字ではなく、すべて映像、つまり画像として頭にたたきこんだそうである。
 
 これは、いうなれば頭の中でデッサンをしたのと同じだ、われわれはふつうデッサンをするのに、紙と鉛筆を使う。しかし、しょっちゅう持ち歩いているわけではないから、ないときには、そのものをじーっと見つめて、その姿かたちを、なんとか頭の中へ覚えてしまうように努力する。

 たとえば、飲み屋へ行くとする。飲み屋というのはどれもこれも同じような店がまえだが、「あの飲み屋は、ちょいと小ぎれいだから行ってみるか」などと言うところをみると、たいていの人には、店がまえの区別がつくらしい。それは、明るさだったり、壁の色だったり、インテリアだったり、清潔さだったりで決まる。すなわち知らず知らず、お客はその店のデッサンを頭の中に描いてしまっているのだ。だから、ながい期間かけて、いろんなものをじっと観察し、覚えこんでしまうという練習は、だれにもできるはずである。

 この服のここに、こんなアクセサリーがついているな、今はこんな柄がはやっているのか。この車はバカに形がよいな。あの家の屋根の勾配は急だな。そういった印象を、つとめて心の中にしまいこむように心がける。もちろん、こまかい点はどんどん忘れていってしまうが、何ヶ月かたつと、たとえば車という観念といっしょに、車のぼんやりした形が、すぐ浮かんでくるようになる。

 つまり映像化に慣れたわけだ。こういう心のデッサンを、本物のデッサンと並行してやっていると、たいへんな進歩になる。はじめに述べたように、もうでき上がってしまっている写真やお手本はあまり参考にしないほうがいい。手のとどかないところにあるもの、たとえば首相官邸の中とか外国の風景のように、めったに見られないものは写真を参考に描き写してもやむをえないが、日常身近なものについては、そういったお手本にたよらずに、心のデッサンをできるだけ心がけてほしい。

 #管理人です
 治療でも、イメージがなかったり、あいまいだとよろしくないし、お手本(やり方)にたよらずにじっくり観察し浮かんできたものに対し治療していくことが大切だと思いました。

 しかも、これらのことは感覚を磨いたり、脳を活性化させるのにも優れた方法だと思います。いやぁ~、凄い人ってやっぱりやる事やっておられるんですねぇ。私も机上の空論にならないように行動しまぁ~す。

  「今日の嬉しかったこと」
 ・幸せなお手紙を頂いた
 ・氷水が美味しかった
 ・ちょっとした気づきがあった
 ・従妹が遅くまで僕のために力をかしてくれた
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by nakayamaryu | 2009-06-19 00:35 | 本の紹介など

楽しい心の創り方?

 「病に学ぶ」 常岡 一郎著より紹介させていただきます。 

  ・心の中に光と熱を
 
 事に当たる。失敗する。病みわずらいになやむ。そんな人々がやけになる。人を呪う。世をはかなむ。悲しむ。怒るという結果になる。なるほどとうなずく。心に光がさして来る。よしやるぞと心に力がわいて来る。温かい愛情がもえてにこやかに人を許し、人を抱く心になれる。

 病いでさえ自分の敵ではない。自分の生き方のゆがみ、考え方の違い、心の使い方のあやまり、心のあり方の狂い、これを教えて下さる天よりのお手紙である。

 病いをなおすことにあせる人がある。病いで自分の狂いをなおすことの尊さに気づかぬ人が多い。病気をいやがる人、病気で自分の間違った生き方、考え方を教えて貰ったとよろこぶ人がある。病気をなおすより、病気でなおす。自分の不自然を、脱線を、わがままをなおす。病気とつり合わないほどりっぱな人間になる。つり合わざるは不縁のもと、不幸や災難とつり合わぬ人間になりたいものである。

 病いは敵ではない。恩師である。人生の正しい生き方を教えてくれる恩師である。大いに正しい生き方を学ぶべきである。なるほどと悟れば常に心は明るく、心に光はつけられる。

  ・人生に歩みよりなし

 十年も愛用した茶碗、毎日使っていても、これも茶碗の方から歩みよったことは一度もない。いつでも使う人がその都度茶碗のところに手をもって行く他はない。ここにも歩みよりはない。相手の歩みよりを待っていたら、いつまでも来てくれない。自分の方から出て行って合わせるの他はない。

 幸も不幸も、痛みわずらいも、もったいないめぐみも、すべて先方から歩いて来るのではないいつでも自分の方から歩みよっているのである。そこに行く道を縁という。祈っても、願っても歩みよりはない。縁だけがある。

 自ら反省する。悪をすてる。愚をあらためる。なまけ心をすてる。常に努力、精進して、毎日ー歩一歩よい縁を進む。自らを高める。これほどたのもしい生き方はない。幸せを待っているひまがあったら働け、つくせ、みがけ、よいことをつみ重ねよ、よい縁をつくれよといいたい。

 病気になったら、反省の好機が来たのである。静かにかえりみて誤りを省く。新しい芽生えの準備をする。自分の方の一方的努力と奉仕とで精一杯の生き方が、この世の賢明な生き方であると思う。

  ・心を映すからだ

 心が一切の源である。怒る。手をふり上げる。なぐる。これは心の動いて行く道すがらである。形と心、そこには一貫したものがある。有形と無形の一体がある。行動を生み出した根源、すなわち人の心使い、心の持ち方、思い方、考え方、それが誤っていたら、悪かったら、なやみが現われて来る。だからわれわれはなやみを通してなやみの根源を悟る。誤りを切り捨てる。倒れかかった身を立て直すことが大切なことではあるまいか。

 誤った心を立て替える。生活をやり直す。周囲を整理する。これが人生を明るくする道である。もし現代の医学がこのまま唯物的にのみ進んでいったら、きっと行き詰る日が来ることと思う。表面に現われて来たことだけに囚われて、形の上の診療に止まっていたら万全とはいえない。病いになやむ人たちには、生活のあり方、心の動き、人生観の持ち方、こういった内面的のことが強い支配力を持っている。だから病人の心の動きをよく見ぬいて、物心一如の救いをやる。そこにこそ本当の健康が生まれる。


 #管理人です
 これを読んで、こういう発想は面白いなぁと思いました。特に太字のところは好きです。
要は、楽しい心の創り方ってことなのでしょうか?

 話は全く変わりますが、昔「どっちの料理ショウ」って番組ありましたよね?ふと思い出したんですが、そのせいで美味しいお店を探す旅にも行ってみようと考えてみた今日この頃でした。

  「今日の嬉しかったこと」
 ・今日、やろうと思っていたことがだいたい出来た(もうひと分張り)
 ・久々に友達夫婦が電話をくれた(イタ電だと言っていた)笑
 ・楽しいトークと治療が出来た
 ・今からバリカンをしようと企んでいる
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by nakayamaryu | 2009-06-17 21:39 | 本の紹介など

基本って、大切

2009/6/13 観照塾

 <感じたこと>
 ・色んなベクトルが複合している(12時-6時-3時-9時)
   力のベクトルと意識のベクトルが幾つか合わさっている。というのは治療の操作をする時
   に必要で12時-6時-3時-9時を深く身体に覚えさそうと思いました。それを感じ
   イメージで色々出来るようになると次のステップに行けそうな気がしました。

 ・色々、合わせて使う
   治療でも色々合わせて使う。考えや思考を「やり方」や「方法」で固めない。

 ・中の動きと呼吸の通り道
   中の動きを呼吸と一致させ、呼吸がどこを通っているか感じる。

 ・手の創りと接点、イメージの持ち方
   患者さんとの接点はやはり大切で、手の創りにはもっと研究が必要だと感じました。

 ・始まる前に終わっている
   これは、もっと色んなことの精度やレベルが上がってくると見えるようになると思う。
   そういうことが、あるということを体感していること自体が有難く思いました。

 ・虚実を明確に
   虚実や緊張弛緩を、もっとありありと創り出したり感じたりする。

 
 やはり、基本をキッチリすることが大切だと感じました。骨盤時計1つでも色々遊べる
ものだなぁ~、なんて一人で納得しています(^-^)


 「今日の嬉しかったこと」
 ・ためになる、お話を聞けた
 ・観照塾で学んだことを、幾つか意識してやってみれた
 ・朝、掃除機をかけているとき何故か気分が爽やかだった
 
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by nakayamaryu | 2009-06-15 20:21 | 稽古と治療

今日は

 仕事が終わった後、家族にこき使われました。(汗)
そんな中、思ったのは身体を上手に緊張・弛緩させ、一日の疲れを取れやすい状態にして
おくことは、健康に気持ちよく明日を迎えるのに大切な準備なのではないかと感じました。

 「心を変化させるのは難しいが、身体が緩むと心も変化しやすくなる」というK野先生の教え
は、まさにその通りであると私自身感じます。

 日常の、ちょっとした動作や意識や思い方、物事の捉え方で変化するという事を皆さんに
教えて頂けて感謝しています(^0^)/

 痛いところがあっても、心配事があっても心明るく(無理にではなく)過ごしておられる方や
痛みや症状をキッカケに自分を変えていこうとされている方々と接していると、気力が湧いて
きて励みにさせて頂いております。

 そんな中、やはり初心を忘れず自分創りをしようと思った1日でした。
今から、準備・仕込みをして明日もハッスルしてみまぁ~す。

  「今日の嬉しかったこと」
 ・心のこもった頂き物をした(ゆっくりお風呂入らせてもらいまぁす)
 ・インドのお話を聞けた
 ・明るい空気にふれた
 ・家族とのコミュニケーションがとれた
 
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by nakayamaryu | 2009-06-12 22:47

〇〇以前

  「はな に生ける」 神田 隆著から紹介させていただきます。

  ・自然と生命

 私はそれまで、植物は土の栄養分を吸収して生長しているのだとばかり思っていました。すなわち土が植物の素で、土がいいから根が育ち、よく言われる根本がしっかりしているから成りたち、さらにいっぱい栄養分を吸収し、ますます大きく元気に生長していくのだろうと思っていました。

 確かにこれは間違いではありません。けれどもそれはすべてではなく、植物が育つための一要素に過ぎないのです。肥料は肥える材料にはなっても、植物はそれによって本当の生長を遂げることはできません。生長の鍵は光です。植物は自らの葉で光のエネルギーを集め、様々な物質を合成させ、増殖しているのです。

  #管理人です
 人間も身体には栄養を入れる事は大切ですよね。「医食同源」なんて言葉もあるくらいですから。そして、頭にも栄養って必要だと思います。頭の栄養分?って何か考えてみたのですが。笑顔や感動、感謝、楽しさなど心がスキッっとすることを思い浮かべることが頭の栄養補給かと思いました。
 心に光・明るさを持つと光合成できるのかなぁ(なんちゃって)←古っ!

 ・淘汰と進化

 ”命の生かし方は命の生き方に聞け”。花を生ける時の心得として私が常々口にする言葉のひとつです。花生けは自然と生命を真摯な態度で見詰め直す機会を与えてくれます。

  #再び管理人です
 治療に対する心構えも毎回、確認・認識しようと感じました。

 ・無常
 花を生ける人のほとんどが、種子を蒔き命が芽生える時の感動や、行く末どのように育ち、いつ花を咲かせるのか、そしてその美しさの絶頂に自らハサミを入れ、自らの意志により大地から命を切り離したという自覚や経験がないのです。

 そんなように手に取る切り花には思いも少なく、また最初に自らが大地から命を切り離したわけでもないため、切ることにさぼとの意味も感じないのでしょう。花の気に入ったところだけを残しそれ以外(葉や茎など)は無情にもどんどん切り捨て、変わり果てた姿にさせてしまうのです。

 結果、利己の固まりのような作品になってしまうこともしばしばです。花生けは「生ける」以前に「切る]があります。また「切る」以前に「観る」があるのです。

 よく観れば何を、何のために、いつ、どこで、どのように切ればいいのかが、わかってくるものです。無情にも花生けは切らなければ始まらない。そして切ることの意味を知る人がさらなる生にたどりつくのです。

  #そして管理人です。
 「よく観る」って上達の極意ですよね。やはり「治療以前」が大切なのですね。
単純なことって、簡単そうで非常に奥深いです。呼吸でも歩行でも発想でも。
「楽しく、えぇことだけ考えたらえぇねん」「心明るく」って頭ではわかっていても、そう簡単には
いかないもんですから。「考えたらえぇ」だけやからタダやし、簡単なはずなのですが(笑)

 だから何事も、やめられないとまらない(かっぱえびせん)なんでしょうね。
私は、かっぱえびせんはとめられますが(なんちゃって)←そして、古っ!

  「今日の嬉しかったこと」
 ・自分のペースで1日過ごせた
 ・気持ちに余裕が持てた
 ・自分の身体の癖に気づけた
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by nakayamaryu | 2009-06-11 21:46 | 本の紹介など

考える

「透明な力」 木村 達雄著から紹介させて頂きます。
 
 ・考え続けること、自分で開発すること

 さわっただけで人を飛ばすようなのは誰もやっていなかった。やはり常に考えていることが大切だ。そうしないと考えも出てこない。考え続けているとふっと新しい考えが浮かんだりする。新しい考えが浮かんだらすぐ書いておいて試してみないと忘れてしまう。書き留めておくことが大切だ。

 あんた(筆者)も数学をいつも考え続けていると、もっと良い仕事ができるよ。いつもいつも考え続けることが秘訣だ。みんなうまくならないし、強くならないのは結局考えていないからだ。稽古と稽古の間ですっかり忘れているでしょう。その間でもずっと考え続けていれば良いんだけどね。生活と一体になっていなければいけない。
(筆者「数学でも考え続けろとガウスとか偉大な数学者たちはいっていますね」)

 それだから、駄目なのだ。人がどう言ったとか人の真似ばかりしようという気持ちが駄目なのだやっていくのは自分自身なのだ。自分なりのものを会得してつかまなければいけない。

 合気だって教えようがない。こうだと示すことは出来ても、口で説明できるものではない。あんたは自分で考えないで教わろうとばかりしているから自分で考える習慣がつかない。そういうところが、頭の良い悪いの差になってくるのだ。

 数学だって何もしなくてある日突然出来るということはあり得ないでしょう。武術だってそうですよ。長い間の努力、工夫によって少しずつ出来るようになってくるのだ。

 
  ・自分で判断すること

 人に言われたからと、そのまま大きな影響を受けるようでは駄目だ。自分の考えというのをもっていなければいけない。自分の頭で良し悪しを判断しなければいけない。どんなに優れた人間でも完全ということはないのだから、決してその人のいうことを鵜呑みにしてはいけない。

 そういう気持ちは自分で開発していこうという気持ちをなくさせるから危険だ。学んでも、またそれを自分の考えで開発していかなければならない。


  #管理人です
 考えて、工夫する。成長するために重要な要素だと感じました。
しかし考えるのも、どこで考えるのかで違いがあるような気がします。頭で考えるのか肚で考えるのか。頭で考えだすと固まっちゃう怖れがぁ~。
 
 それにしても達人といわれる人は、凄いですよね。
僕も「達人」とまではいかなくても、「たつじい」くらいには頑張ってなりたいです。
(関西人にしか分からない、サムイ・ダジャレでした 汗)


  「昨日、今日の嬉しかったこと」
 ・心の友からメールが来た
 ・患者さんに、ブログ見たよって言ってもらった
 ・往診先の猫が、なついてくれた
 ・それなりに動けた
 ・良い報告を受けた
 ・久しぶりに、もう一人の心の友と話した
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by nakayamaryu | 2009-06-11 00:55 | 本の紹介など