治療院の内容など


by nakayamaryu
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つつしむ

 今日は数日前に、ふと考えていたことを書こうと思います。
良いであろうことも過ぎるとどうなるか。なんて事が頭のにでてきたのでちょっと考えてみることにした。

 優しさと甘さの違い、親切が行き過ぎると有難迷惑、共感しすぎると感情移入し自分への影響が出てくる、柔軟過ぎると優柔不断、自分の意思があり過ぎると頑固、治療においても早く良くなって欲しいという気持ちが過ぎると刺激過多で逆に症状が出る。などなど、挙げだすときりが無いくらいに出てくる。

 そんな時、野口晴哉さんの言葉を読んだ時に「あらっ」と思った。
※以下引用
看病人が自分が心配だから、自分の満足するまでいろいろなことをやるのである。相手の体など見ていない。自分の心配の為にやるのである。これをやらなければ不安だ、あれも、これも・・・・。

 という一節を読んで、先ほどの上のことに当てはめてみた。本当に相手のためになっている内は優しさであり、親切であって、自分の気持ちの満足のためになってしまった時点でいき過ぎになってしまうと思った。治療での少しでも良くなって欲しいという気持ちの中には、焦りもあれば自分の治療で良くなったことに対する満足感、おごり、などなどが存在している場合がある。本当に患者さんを観るということは、そういった気持ちがあるうちは観れないと感じた。

 しかし厄介なのが、出発点は純粋な気持ちで思っていることである。良くなって欲しいという気持ちや優しさも、親切も良いことなのだから。それが自分が認識しないうちにどこかで変化してしまう。ここのバランス感覚は、本当に相手のためになっているか?己の欲求ではないか?という自分への問いかけや、経験値ももちろん必要になってくると思うが、臨界点を認識するために、臨界点まできっちり自分の心身を創っておくということが一つポイントになってくるのではないかと考えた。そして今、臨界点を意識して色々と行動してみている。例えば身体創りをする時や、自分の感情を観察し臨界点をさぐり結果自分はどうなったかなど、そんなに小難しいことはしていないのだが。

 ただいま、検証中!

 その中で、はっと気づいて最近自分自身で気をつけていることが慎むということである。
※以下センタリング呼吸法ブログより
楊心流理合全書
 自ずから 移れば移る 移るとも 月もおもはず 水もおもはず
 雲晴れて 後に出づると 思ふなよ もとより真に 有明の月
 天心の 誠の外に 物なきに おのが心で おのがたづぬる
 容(かたち)なき ものかと見れば 松風の 枝も動くぞ 音もこそすれ
 角なるを ひしに見なして 三角とる 其の身は丸く 玉の浮き橋
 捕られては 水に浮木の 身を持てよ 風にまかせつ 浪にまかせつ

制剛流
 むりにただ 力を頼む 人こそは 勝身にうとき 心なりけり
 ふしぎなる 極意ばかりを 尋ねつつ 表にあるを 知らぬはかなさ
 やはらかに 敵のなす手に 任せつつ 後に勝こそ 陰中の陽
 忘れても 力いだすな いたづらに 敵の力ぞ 我が力なる
 われとわが 心に伝ふ 鍛錬に 妙も不思議も あるとしるべし
 動きなき 心を思ひ 悟らずば 皆いたづらの 稽古なるべし
 
 これらの道歌のなかにヒントがいっぱいありました。治療でもこの慎む、いたずらに力をださない、ということを自分なりにですが、やってみて今まで以上に自分自身が変化できつつあると感じています。
野口晴哉さんも一生懸命やらないと言っておられたようですし。本当に人って奥が深いと一人でふけっていた今日この頃でした(^o^)/

参照:機 度 間
参照:如何に親切にならないか/同情しないで非人情に
参照:行き過ぎた干渉が招くもの
参照:機ということ

  「今日の嬉しかったこと」
 ・楽しく働かせてもらった
 ・今日はちょっとだけ温かかった
 ・したいことが出来た
 ・人の笑顔って素敵だなと感じた
 
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by nakayamaryu | 2009-11-06 20:29 | 日々の感じ